2015年9月5日慶應義塾大学三田キャンパスにて、本研究会員である小手川正二郎氏の著書『甦るレヴィナス―『全体性と無限』読解』(水声社、2015年)の合評会が行われました。
先立って8月7日に京都大学にて開かれた合評会に引き続いて実施された本会は、レヴィナス研究会単独のイベントとしては最多の28名の方にご来場いただきました。当日4時間半に渡る熱い議論にご参加いただいた皆様方に心より御礼申し上げます。
以下、本研究会会員の小野和氏による合評会報告と当日登壇者の方が配布してくださった資料を公開致します。公開が遅れ、申し訳ございません。
資料の公開を快諾していただいた登壇者の皆様方(八重樫徹さん、古荘真敬さん、荒金直人さん、伊原木大祐さん)に改めて感謝申し上げます。
【
合評会報告】
去る9月5日に、小手川正二郎『甦るレヴィナス』の合評会が開催された。同合評会では、レヴィナスと彼が内的対話を繰り広げた思想家たちを専門領域に含む四人の評者が登壇し、著者の小手川正二郎氏との間で緊密な問いと応答が交わされた。詳細な議事録には至るべくもないが、以下では、そのいくつかを取り上げて報告することにしたい。
合評会は著者による自著紹介からはじまった。小手川氏によれば、同書のねらいはレヴィナスの思想をいわゆる「他者論」的な解釈から切り離し、解釈しなおすことにある。《「われわれ」とは異なるがゆえに忘却され、抑圧され、看過されてきたような「他のもの」を尊重すべきだ》という「他者論」をレヴィナスは展開していない、というのが小手川氏の基本的な読解方針であった。同合評会で試みられたのは、この読解方針のもとで積極的に打ち出されるレヴィナスの「他人論」と、そこから引き出される「レヴィナス的倫理学」の可能性を、批判的な観点さえ交えつつ問い直すことであった。
最初に登壇された八重樫徹氏は、フッサールにおける価値の問題を中心に、現象学と倫理学の結びつきを探る研究に従事されている。「レヴィナス的倫理学」について、八重樫氏は応答の「正しさ」を巡る問いを提起した。小手川氏は、自我の側でなされる理解(把捉)が絶えず問い直されるという場面に、他人への「正しい応答」が生じる余地を見て取っている。けれども、応答の正しさを絶えざる問い直しが特徴づけるのだとすれば、いかなる道徳的な問いにも一義的な答えが存在しないことになり、ダブル・バインド的なものにとどまり続けることになるのではないか。また、他人からの問い直しによって「正しい応答」が成立するとしても、それはいかなる理由で正しいのかが説明されない限り、悪く言えば場当たり的なものにとどまることになるのではないか、と。
こうした問いに対して著者は、「道徳的な問いにたいして構造的原理的に決定されているような一義的な答えはない」という立場をレヴィナスに帰すことは可能である。とはいえこのことは「他人との今ある関係が核となって、今ある正しさのコンテクストが形成される」という水準で理解されるべきである。また、このために、レヴィナスは個々の理由同士が競合するようなジレンマを引き受けているわけではない、と答えた。
二人目に登壇された古荘真敬氏は、ハイデガーにおける言語や共同存在を主題として研究されている。古荘氏は、「私の理解の枠組みを共有しない」人物である他人に関する問いを提起した。小手川氏は、鯨を食べてよいと見なすか否かといった具体例で他人との邂逅を説明し、その際、私と「理解の枠組みを共有しない」ことを他人の「属性」としてではなく「他性」として、つまり根底的な異質性として捉える。けれども、こうした具体例は本当に私と「私の理解の枠組みを共有しない」他人との邂逅を描くのに適切なのか。この具体例でいえば、私と他人はある共有された理解に即して異なる道徳的判断を下していると考えてもよいのではないか。そして、この具体例が適切であるかどうかは措いても、他人との邂逅において「属性」が問題にならないならば、私とは「まさしく異なる」他人がいるという事実だけが問題になるのではないか。そうだとすれば、他人のいかなる発話についても(たとえば挨拶などの日常的なものについても)、私の理解を問い直す契機が含まれていることになるのではないか、と。
こうした問いに対して著者は、自我が有していた観念自身が問いただされるという「理解」の場面を例示する意図のもとで、鯨の例を用いた。そして、他人のいかなる発話についても「新しさ」が見出されうると言える。発言内容ということにこだわったのは、従来は対面という事実と発話内容が峻別されすぎていたために、発話内容の理解については論じられてこなかったが、問い直しが成立したと言えるためには、その問い直しが、発話内容の理解やそれに対する応答に反映されねばならないのではないか、という関心からであると答えた。
三人目に登壇された荒金直人氏は、フッサールやヘーゲルとの関係における初期デリダの思想形成研究を経て、近年ではレヴィナスに関する研究書(ジャン・フランソワ・レイ『レヴィナスと政治哲学』)を訳されている。荒金氏は、他人の「現前」とはいかなる意味をもつのか、という問いを投げかけた。『甦るレヴィナス』の主張は、《レヴィナスの思想は、他人との対面という具体的な状況を、倫理および理性の起点として捉える視点を提供する》と要約することができる。その際、他人の「現前」は倫理的関係を駆動させるものとして位置づけられていると思われる。けれども、他人の「現前」の直接性に関しては、著者の記述に揺らぎがある。一方で、実際に他人が私の面前にいることが本質的な条件であるような記述があるが、他方で他人の現前を程度問題と見做し、不在の他者との間にも倫理的関係が成り立つとするような記述もある。それゆえ投げかけられたのは、他人の「現前」とは何を意味するのか、他人の「現前」があるから対面関係が成り立つとはどういうことなのか、私の理解の枠組みの刷新が重要ならば、現前はなくてもいいのではないか、という問いであった。
こうした問いに対して著者は次のように答えた。レヴィナスは対話を範例として他人の「現前」を考えており、他人の「現前」の直接性は、他人の発話内容を理解する「方向付け」(文脈など)がその現前によって与えられるという点に存する。それを媒介の程度(スカイプ、書物など)によって区別することはできないだろうが、基本的な指針を言えば、書かれたものはいかなる解釈も許容しうるが、直接的な他人の発話に対しては恣意的な解釈が許容されない、という区分は有効である。
四人目に登壇された伊原木大祐氏は、レヴィナスの議論における身体性と犠牲の関係に着目した単著(『レヴィナス 犠牲の身体』)を著されている。伊原木氏は、レヴィナス研究の観点から『甦るレヴィナス』を高く評価するとともに、いくつかの問いかけを行った。評価されたのは、これまで等閑にされてきた重要な論点(たとえば『全体性と無限』の方法論と言われる「具体化」)を顕在化させた点、そして、従来のデリダ的、あるいは現代思想的な解釈図式を逆転させ、新たな切り口(理性論とそれに基づく第三者論、暴力論)を提示した点であった。問いかけられたのは、『全体性と無限』と『存在するとは別の仕方で』の関係についてである。これまで「転回」(シュトラッサ―)と表現されることの多かったこの二著作の関係について、小手川氏は、《『全体性と無限』の議論がなんらか放棄され、『存在するとは別の仕方』へと方向が転換されたわけではない》という意味で「深化」という言葉を充てた。この理解には素直に同意するが、「深化」という言葉を使うのは、「深められるべき浅い部分」が『全体性と無限』にあるということであろうか。そうだとすれば、そのメルクマールとは何であろうか、という問いであった。
こうした問いに対して著者は、「深化」という表現の含意は、『全体性と無限』が不徹底だったということではなく、また二著作間で同じ枠組みが共有されているということでもなく、いくつかのモチーフが継続して論じられているということに尽きる、と答えた。
最後に、フロアから投げかけられた問いをいくつか取り上げて、報告を閉じたい。『全体性と無限』の方法論として挙げられた「具体化」という主題と、八重樫氏が提起した「理由」という主題を巡って、フロアからは多くの問いが投げかけられた。一方で「具体化」という主題は合評会を通じて一つの焦点をなしていた(上の報告では割愛したものの、この主題には八重樫氏、伊原木氏も触れていた)。「ある概念をそれが使用される状況と結びつけることで厳密に理解する」と言われるこの方法論については、「なぜそのようなことが言えるのか」、「いかなる概念が具体化されるのか」、「事象分析というよりも叙述の方法なのではないか」といった問いが提起されていた。他方で、八重樫氏が提起した「理由」という主題については、「第三者論の文脈を考えるならば、「理由」を巡る議論を受け入れうるのではないか」といった問いが提起されていた。(文責:小野和)
【
当日資料】
当日の配布資料は
こちらから閲覧およびダウンロードできます。
第10回レヴィナス研究会関西班例会が以下のとおり開催されます。
奮ってご参加ください。
■日時:2015年10月4日(日) 15:00-18:00
■場所:同志社大学今出川校地・烏丸キャンパス志高館「SK地下4」(※前回と同じ部屋です)
地図・経路は
こちらをご覧ください。
■プログラム:
・【研究発表】
佐野泰之「他者と分身 レヴィナスとメルロ=ポンティにおける言語の位置づけについての一考察」
・【読書会】
『存在の彼方へ』第1章第6節「存在することと意味作用」(文庫版p.28Mais c'est...で始まる段落からp.30の節の終わりまで)
この度、本研究会員である小手川正二郎氏の著書『甦るレヴィナス―『全体性と無限』読解』(水声社、2015年)の合評会を関西、関東の二箇所で行うこととなりました。
つきましては、日程・場所などお間違えのないようご注意願います。
以下、双方のまとめです。
【関西】:個別ページは
こちら
■日時:2015年8月7日(金)13:00-17:30
■場所:京都大学文学部新館第7講義室(2F)
■プログラム
13:00-13:15 著者、コメンテーター紹介
13:15-14:00 セッション1:松葉類(京都大学博士課程)
14:00-14:45 セッション2:吉川孝(高知県立大学)
14:45-15:00 休憩
15:00-15:45 セッション3:小野文生(同志社大学)
15:45-16:30 セッション4:亀井大輔(立命館大学)
16:30-17:30 全体討議
司会:藤岡俊博(滋賀大学)
【関東】:個別ページは
こちら
■日時:2015年9月5日(土) 14:00-18:00
■場所:慶應義塾大学三田キャンパス第一校舎1階105教室
■プログラム
14:00 開始
14:00-14:10 自著紹介 小手川正二郎(國學院大學)
14:10-14:50 最初のコメント・質疑応答 八重樫徹(東京大学)
14:50-15:30 二番目のコメント・質疑応答 古荘真敬(東京大学)
15:30-15:40 休憩
15:40-16:20 三番目のコメント・質疑応答 荒金直人(慶應義塾大学)
16:20-17:00 四番目のコメント・質疑応答 伊原木大祐(北九州市立大学)
17:00-17:10 休憩
17:10-18:00 全体討議
司会:渡名喜庸哲(慶應義塾大学)
関東・関西ともに入場無料、予約不要です。
この度どちらの合評会も、それぞれの分野の最前線に立つ素晴らしい研究者の方々にご登壇していただけることとなりました。
多くの方のご来場をお待ちしております。
レヴィナス研究会 連絡担当:石井
第21回研究会例会(関東)特別企画:小手川正二郎『甦るレヴィナス』合評会
■日時:2015年9月5日(土) 14:00-18:00
■場所:慶應義塾大学三田キャンパス第一校舎1階105教室
アクセスは
こちら。
■プログラム(敬称略)
14:00 開始
14:00-14:10 自著紹介 小手川正二郎(國學院大學)
14:10-14:50 最初のコメント・質疑応答 八重樫徹(東京大学)
14:50-15:30 二番目のコメント・質疑応答 古荘真敬(東京大学)
15:30-15:40 休憩
15:40-16:20 三番目のコメント・質疑応答 荒金直人(慶應義塾大学)
16:20-17:00 四番目のコメント・質疑応答 伊原木大祐(北九州市立大学)
17:00-17:10 休憩
17:10-18:00 全体討議
司会:渡名喜庸哲(慶應義塾大学)
※1枠40分
※コメント後の質疑応答は、原則として著者小手川からの応答に10分ほどを予定
レヴィナス研究の現在――小手川正二郎著『甦るレヴィナス―『全体性と無限』読解』とともに――
…ユダヤ人哲学者、エマニュエル・レヴィナス(1906-1995)が、彼の主著である、『全体性と無限』(1961)を世に問うて以来、本書をめぐってさまざまな議論が提出された。他者、真理、形而上学、現象学といった幅広いテーマのもとで展開されるこれらの議論について、小手川正二郎著『甦るレヴィナス―『全体性と無限』読解』を軸に、フッサール、ブーバー、デリダ研究の最前戦に立つ研究者らが語り直す。レヴィナス没後20年に際して、彼の哲学がふたたび甦る。
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日時:2015年8月7日 13:00-17:30
■
場所:京都大学文学部新館第7講義室(2F)
■
プログラム
13:00-13:15 著者、コメンテーター紹介
13:15-14:00 セッション1:
松葉類(京都大学博士課程)
14:00-14:45 セッション2:
吉川孝(高知県立大学)
14:45-15:00 休憩
15:00-15:45 セッション3:
小野文生(同志社大学)
15:45-16:30 セッション4:
亀井大輔(立命館大学)
16:30-17:30 全体討議
司会:
藤岡俊博(滋賀大学)
※入場無料、予約不要